自分の最期に別れの言葉を言う人は?1つの映画を見て人生を考えた話。

佐々木です。

この記事は3.11の震災の話を扱うので
デリケートな内容だと思います。

辛い経験をされた方もいると思うし
「読みたくない」と感じた方は
読まないでください。

昨日、Fukushima50という映画を見ました。

福島第一原発が地震と津波にさらされた時
現場に残って事故対応をした
50人の作業員を取り上げたドキュメンタリー映画です。

Amazonプライムで無料で見れる映画なので
興味持った方は見てみてください。リンクはこちら

Fukushima50を見て、
震災当時、高校生だった時の
自分の記憶が蘇ったりもしたし

自分の人生のスタンスに関しても
考えるきっかけをもらったので記事にします。

 

僕は3.11の時、千葉県で高校生やってました。
地震が起きた時は、
ちょうど体育館でバドミントン部の練習中。

うちの高校は結構天井が高いんですが
天井についてるデカくて重そうなライトが
落ちてくるんじゃないかというくらい
揺れて、揺れて、嫌な音を立ててました。

なんかこれやばくね?となって
外に飛び出したら、
地面のコンクリは割れて、
波うったり盛り上がったり
校舎もひびが入っていました。

揺れがすごくてどこかにつかまらないと
立ってられない時間もありました。

揺れが収まってから自転車で家に帰りましたが
余震で揺れてそれもすごく
自転車をこぐバランスが取れないから降りた
なんて記憶もあります。

千葉県の中でも
僕が住んでた地域は埋立地だったので
帰り道、液状化現象が起こっていて
コンクリートが割れてそこから泥水が
ぴゅーっと湧き上がっていたりしました

実際にこんな感じです。

なんかほっとくわけにもいかなくて
その辺に落ちてる頭の大きさくらいの石を持ち上げて
泥水が出てる所にふさいだりしました。

やった所で何になる
というわけでもないのですが。
子ども心に無力感を感じてました。

最寄りの駅前はこんな感じでした。

水浸しです。
でも、雨が降ったんじゃないんです。

液状化です。

埋立地なので、海の上に土砂とかを盛って
その上にコンクリで固めたりしてるんですが
地震でシェイクされて液状化して
表面に出てきちゃうんですよね。

なので家に着くころには
泥が自転車のタイヤに引っかかって
ドロまみれでした。

そこからの記憶はあいまいですが
家で家族と過ごして、
計画停電があったり
延々と繰り返される同じCMを見て
溜息をついていたりしました。

どうなっちゃうんだろう、と。

そんな事を子ども心に考える最中
福島第一原発では関係者の方たちが
必死に戦っていたんだな、と

ようやく今になって
思いを馳せることができました。

それはこの映画を見たおかげです。

本編の内容はぜひ一度
見てほしいのですが

僕が感じたこと、思ったことを
つらつらと書いていきます。

自分の最期に別れの言葉を言う人は?

原子力発電所が津波で浸水して
電力による制御が利かなくなり

大量の放射能が出ている場所に
人が入って作業しないといけなくなります。

一歩間違えば、
作業員は大量の放射線を浴びて
死は免れない。そんな状況。

作業をする人達は、
本当に死ぬ覚悟をしないといけなくて
大切な人達に連絡を入れていきます。

もっと一緒に時間を共有したかった
もっと一緒に感情を共有したかった
成長する姿を見たかった

そんな想いを胸に、
メールを書いて送っていく姿。

このシーン見たときに、
「自分だったら、誰に、どんな別れの言葉を言うんだろう?」
って思ったんですよね。

自分の命が終わるのって
いきなりなこともあれば、
病気とか事前に分かる場合もあって

じゃあ分かる場合だったら
僕は誰に、どんなことを伝えたいんだろう?

そう考えた時に、
僕は悔しささえ感じました。

あんまりない。って。

思い浮かぶのは
家族と、彼女、友人ちょっと、とかでしょうか。

最近、割と近しい親戚の方が亡くなった時にも
そう思ったんですよね。

もっと自分にとって
大切で、濃い関係性で、
お互い大切なものを共有してたりして

死ぬってなった時に、
そいつに一言これを託さないと死ねねえ。

みたいな人を増やしたいなって。

仲良い人とか
尊敬してる人とか

それも大事なんですけど
なんかそこまでじゃないなーとか。
思ってしまいました。

深い所で繋がってる人が
どれだけいるのかな、と考えたんです。

僕は子どもがいないので
いるとまた違うことを考えるかもですが。

どうやったら深い所で繋がれる人ができるんだろう?

そう思った時に、
僕の原体験から考えるに

「本音さらしてぶつかり合えた人」

まずこれはあるなと。

最近も、同い年の友人と
本音さらして話してたら
気付いたら朝8時とかになってたんですが

もし自分が志半ばで死ぬとなったら
真っ先にコイツに伝えるだろうなとか。

後は頼んだ、なのか
内容は分からないですが。

ってことは、そういう話を
ちゃんとできる相手は貴重だよな
大切にしよ、って。

 

深い所で繋がれないのって
言ってしまえば怖いからだと
僕は思ってます。

否定されるかもしれないから。

間違ってる事なら
否定してもらえるのは有難いけど

ぶっちゃけ人生、
間違いなんていくらでもしていい
そんな風に映画見て思ってしまった。

だって、間違うと死に至る
そのレベルの事って中々ないから。

福島第一原発の事故の時には、
成功しても作業員は大量の放射線を浴びる
失敗したら東日本全域に放射能がまき散らかされて
半径250km、5000万人が住めなくなる

そんな状況だったわけだし。

トロッコ問題ですよね。
どっち転んでも苦渋の選択みたいな。

そのレベルの選択を迫られてる
そういうわけではないと思うから

後悔のないようにやればいいんじゃないか
そう思いました。

映画の中で1つ、印象的なシーンがあります。

それは、政府の命令に背いて
東京電力の所長や職員が、
ウソをついてまで作業を続行するシーンです。

○○は中止せよ!

と言われて、

了解しました。

と言うのですが、実は止めていない。

止めたら、もっとヤバいことになる。
絶対に続けるんだ。

こういうシーン。

やらなかったら絶対に後悔する
誰に責任を取ってもらわなくても構わない

そういう意志を言外に感じました。

他にも感想はあるのですが
ぜひこの映画見てみてほしいですね。

僕自身としては、
死ぬときに悲しんでくれる人よりも
死ぬときに何か言葉を託したいと思える
深い関係性を持った人を増やしたいな
と、そういう気持ちになりました。

実際にお会いした時とかに、
これをテーマに気づきとか話せる人が
増えたら嬉しいなと思ってます。

Fukushima50はこちら

佐藤浩市さんや渡辺謙さんなど大物の演技も
緊迫感を引き出してくれていましたね。

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