プロフィール

初めまして。佐々木ヒデノブと言います。
僕のブログを見ていただきありがとうございます。

まずはじめに、
「佐々木って何者なの?」
って方が大半だと思うので、

ここでは、僕のこれまでの経歴や、
僕がどんな事を考えて、
どんな生き方を実現しているのか
というお話をしたいと思います。

▼僕の生き方のハイライト▼

  • 新卒1年目で会社の給料以外の副収入が月15万円あった
  • ビジネススキルを付けて23歳で独立(2018)
  • 月曜日の憂鬱や満員電車とは無縁の生活
  • 仕事場所が自由だからイタリアで仕事をしたりもする
  • 1日中趣味のギターに没頭していても勝手にお金が入ってくる
  • 月140万とか新卒なら半年かかる金額を1か月で稼いだり
  • 外に出たくない時は家に引きこもっていても余裕で収入が確保できる
  • 全てが無くなっても脳内にある知識が奪われなければ何とかなるなって感覚がある
  • 僕のやってきたことを教えて0から2か月で10万円超の副収入を上げる人を複数輩出
  • 同じように自由を満喫している気の合う仲間と悠々自適に学んだり遊んだりしている

といった生活を日々送っています。

↓ イタリアで散歩して風景を楽しんだり。

↓ ピザの名店に立ち寄ったり。

その合間に、生徒さんにアドバイスを送ったりしてました。
仕事をする時間や場所に縛られない、快適な生活です。

「なんかずるい・・・」

って思うかもしれませんが、

僕はこんなライフスタイルを、
ビジネスをきちんと学んだことで実現しました。

もともと才能があったとか、
昔からビジネスについて
学んでいたとかは全くなくて、

日々もんもんと不満や不安を感じて
生きる生活に嫌気がさし、
そんな生活から抜け出すため、

学校や会社でやっていたこととは
全く別の勉強を積んで、
理想のライフスタイルを実現しました。

先ほど「ハイライト」として
今の良い部分に焦点を当てましたが、

もちろんそこに至るまでは
挫折や苦悩もありました。

特に僕は20歳らへんまで、

ずーーーーーーーーっと、
クソマジメに生きてきました。

要はいい子ちゃんだったんですね。

自分がやりたいと思うことがあっても、
親がダメと言ったら諦めてしまう。

逆に親がやれといったことは
おとなしくやるような子供でした。

周囲の望むような自分でいれば褒められるし。
みたいな。

そんなクソマジメないい子ちゃん時代から、
どんなきっかけや経験を経て今に至るのか。

今後僕の発信内容を見ていくにあたって、
知っていた方が話の理解が深まると思うので
ここに書いていきます。

◆小学生~親の言いなり×勝てなくて卑屈になった

小学生のときは、
細かい作業に夢中になるのが好きでした。
折り紙とかよくやってましたね。

それを見てか、小1の時に僕の親は
「パズル教室」と称して、
ある習い事に通わせます。

はじめはパズルをやっていたので、
めっちゃ楽しんで通ってたんですが、

いつの間にかそろばんをやってました。
そう、実はそろばん教室だったのです。

途中で「騙された!!」と気付いた時の
絶望は、鮮明に覚えています。

あと書道。

書道も小学1年生から通ってまして、
まぁ何が言いたいかというと、

親のいいなりでした。

そんな時自分の中で楽しみを見つけたのが
「野球」で、
学校の昼休みのドッチボールで出来た友達が
野球チームに入ってたんですよね。

それから
「少年野球チームに入る!!!」
って聞きませんでした。

これが小さな反抗期でした。

親はダメだと一点張りだったので、
「自分の人生の不自由さ」
を感じ、半ば諦めるようになりました。

結構頑張ったつもりだったので、
その反動もあって、やっぱ無理かーって。

そう感じていました。

けどある日、野球をやっていた僕の親友の
タクローってやつが家に遊びに来て、

「佐々木くんを入れてあげてください!
この通りです!」

って頭下げて頼んで、
それに負けたのか入れてもらえました。

タクローには感謝です。
少年野球は楽しかったですね。

ただ、ここで入った少年野球で
僕は挫折を味わいます。

実は、親が野球はダメ!
って粘ってる期間が1年以上あったので、
野球始めたのが5年生からでした。

ってなると、
周りに勝てない。

他のチームメイトは、
3年生とかから野球やってて、
2年の差は結構大きかったです。

練習して上手くはなるんだけど、
追い付けない。追い越せない。

あー、あれは悔しかった。

野球って「遠投」っていうのがあって、
どれくらいボールを遠くまで投げられるかって

チームの皆で計測会をしてました。

それで、同じくらいの小さい体格のやつでも
びゅーんと遠くまで飛ばすんですよ。

球も速いし。

あと、僕は学年が下の
4年生とかにもそれは負けてました。

やってる時間が長いってだけで、
マジで歯が立たない。

今だからわかりますが、
実はこれは時間の問題だけでは
ありませんでした。

もしかすると、
普通のことなのかもしれないですが、

基本の練習を体系的に
教えてくれる大人がいませんでした。

ノックとかしてくれるけど、
知識とかないから、

単に慣れるだけで、
頭打ちになる。

僕の母親は野球ファンだけど、
ノウハウはわからないから、

小学校の図書館にあった
野球の本とか読んでました。

でもよくわからんかった。

一方、チームの中でも上手いやつは、
親が野球経験あって
チームのコーチやってたり。

それで自分の中で思うところがあって、

「野球じゃ勝てねぇな。」
「他のスポーツやろ。」

ってなりました。

ちょうど兄貴が高校で
バドミントン部に入ってて、

練習相手になってるうちに好きになって
中学ではバドミントンやろって決めました。

今、冷静に分析すると、

明らかに他人の方が優れていると、
すぐに卑屈になって、
それで諦めてしまう。

でも、人よりも優れていたい。

そういう気持ちを人一倍
強く持って育ちました。

子供なりに早い段階で
挫折を味わったってのもあると思います。

僕と似たように、
小さい頃に競争にさらされた人は
この気持ちわかってもらえるかもしれませんね。

◆中学生~調子にのる×無理な志望校設定で心ズタズタ

中学は公立でした。

それまでそろばんをやっていたおかげで
計算は大の得意でした。暗算ってやつです。

そんなわけで、1回目の定期テストでは、
数学(という名の算数)は無双しました。

でも実は、1回目のテストって
めっちゃ簡単に作られてるんです。
範囲が小学校レベルなんですよ。

だから、勘違いしやすい。
(と今ではわかる)

学年で6つくらいクラスがあって、
学年10位だかになって、
そこで調子乗っちゃうんですよね。

すーぐ、勉強しなくなりました。

これがぼくの悪いクセだと今だからこそ気付きます。

そんで成績はみるみるうちに降下。

そりゃ、中学で学ぶことが出題されるので、
中学でちゃんと勉強してないとダメなわけで。

中学からはバドミントンを始めたんですが、
勉強の代わりにそれ毎日やってましたね。

1日素振り1000回とかやってました。

まぁこれは兄貴に
「強いヤツはこれくらい当然やってる」
みたいに言われて、半強制的にやってたんですが。

おかげさまでか、
そもそも経験者が少なかったからか、

中1の時は県大会に出場したんですが、
それを機に、バドミントンでも調子に乗って、
練習を怠るようになります。

一筋で頑張っていたのを、
友達と遊んだり、
部活でも仲良くやったりするようになりました。

そんで気付いたときには、
育ち盛りの周りの部員に
実力を追い抜かされたりしました。

めっちゃ悔しかった。

でも、どうしていいかはわからなかった。

教えてくれる顧問の先生は

「丁寧に打て!」

みたいな、ノウハウもへったくれもない
教え方で、
まぁなんとなくやっている感じでした。

がむしゃらにやって、
コツを掴んだやつがうまくなるみたいな。

そんな感じで中学の時は、
「調子にのる」という
僕の欠点が浮き彫りになって
人生に影響してくるタイミングでした。

 

中学3年にもなると高校受験が目前になってきます。

家は裕福ってわけじゃなかったので、
公立に行くことを目指しました。

このときも親の言いなりで、
「K高校」
っていうクソ頭いい公立高校に行くように
誘導されます。

兄貴がいい大学行ったのもあり、
いい顔したかったんだと思います。

僕の将来のためといえば聞こえはいいですが、
世間体がほとんどだと思ってます。

なんでかって、
そのK高校はレベル高くて、

中3の夏くらいから通った塾でいうと、
一番上のクラスの人が目指すようなとこ。

で、明らかに無理なんですよね。

目指せっていうならもっと現実を見据えて
前から動かないと。

この時はね、
ほんと心がズタズタになりました。

だって明らかに倒せない相手に
立ち向かわないといけないわけで。

しかも、この時心がズタズタになったのは、

「自分がどうすれば勝てるのかわからない」

ってところが大きかったです。

それまで塾では、
中堅程度の高校に行けるクラスだったので、
学ぶレベルもそれくらいでした。

だから、

「現状から手が届くかわからない、
勝てるかわからない戦いをする」

っていうのが怖くて怖くて。

志望校決めの日にちが塾で決まってて、
それで最後のクラス分けをする
タイミングがあったんですが、

その時は「K高校受けるor受けない」で
頭がぐるぐるしていて、
吐きそうになってました。

結局、僕の選択は、
普通に行けるところに行く
という所に落ち着きます。

K高校に挑戦するのは辞めたんです。

◆高校生~指針を知り、学ぶことの楽しさを知る×また勘違い

高校生になった僕は、
テストも中の下くらいの点数の生徒でした。

あと、英語と数学がマジでわからなかった。

よく受験で英語読めたなと思うんですが、
確かSVOとか知ったのは高校入ってからでした。

数学も確率とか全然わからなくて、
わからなくて嫌だったから、
机に突っ伏して毎回寝たふりしてました。

そんな僕にも転機があって、

予備校で働いてた兄貴にすすめられて、
高2の夏に、無料のお試し授業に参加したんです。

言っちゃいますが、
東進ハイスクールです。

映像の授業なんですが、
そこで教えてくれる先生がわかりやすくて、
面白くて、学ぶことに楽しさを見いだしました。

ただ、それはある一面にしか過ぎなくて、
僕が楽しんでいたのは別のところにあったのだと
今は確証を持っていることがあります。

というのもこれまで、

小学校の野球
中学のバドミントン
高校受験の勉強

で、壁にぶつかって伸び悩んだとき、
僕はどうすればいいのかが全くわからず、
教えてくれる人もおらず、
苦悩してきていました。

暗闇を手探りで頑張るような感じ。

言い方を換えれば
ただがむしゃらにやっていて、

それで結果が出ず苦しみました。

だからこそ、
塾で授業を受けたときには、

指針をもって学べること、そして
それをもとにみるみる成績があがることが
何より楽しく、衝撃的だったのを覚えています。

その授業は夏休みだけで
終わったんですが、

そこから学ぶことにドはまりします。

その時、意識せずやっていたのは、
塾のときみたく、指針を手に入れることでした。

上手くいっている人が公開している
勉強法とかを探して、

それらの中から自分がロジックとして
納得できる勉強法を研究して実践しました。

そしたら、
どんどん成績があがるようになります。

京大生がウェブサイトで販売してた
勉強法のCDに、

親に内緒で、なけなしの1万円払って
学んだりしていました。

郵便局留めっていうサービスを知って、
それでバレないようにしてましたね。

僕は近い親戚が少なかったから、
お年玉は5千円くらいで、
だから、結構ガチの出費でした。

まぁそれは置いておいて、

この時やったのは、

「わからなくても飛ばして進める」
「何度も何度も繰り返して理解する」

って勉強の仕方だったんですが、

これを機に、
成績は学年トップの1位になりました。
(学校全体で受けた模試の成績)

そんな感じが続いたあと、

2年生の終わりに受けた
センター試験の模試で、

対策も何もしないまま
英国数で8割以上の得点をとります。

ここでまた僕の勘違いが発動します。

俺、なんかすごいんじゃね?って。
それで東大目指しちゃうんですよね。笑

ここで落とし穴がありました。

受験って、
普通の模試とかとは
全く攻略方法が違うんです。

行きたい大学に行くのが目的なら、
そのための勉強ってのがあるわけで。

それがわかってなかったので、

どれくらいゴールまで離れてるのか。
どんなことをやらないといけないのか。
どれくらいのペースでやらないといけないのか。

この辺がぼんやりしたまま、
ただマジメに勉強しまくりました。

結果、
僕は東大には行けず、
私立大学に通うことになります。

ただ闇雲に頑張るだけでは、
どうにもならないのだと悟りました。

◆大学生~学歴コンプレックス×ビジネスとの出会い

志望校に行けなかったこともあって、
大学1年のときは、学歴に卑屈でした。

いわゆる、
学歴コンプレックスってやつ。

自分より世間的に上の大学に行っている人に会うと
なんか人生負けたみたいな感覚で、
否定される気分になる。

このとき考えたのが、
仮面浪人でした。

だから、大学1年のときは、
夏くらいまでは通学とか帰宅後に
受験勉強してましたね。

大学で知り合った友達も
東大落ちて仮面浪人しようと
思ってる人は多かったです。

けど、
結局周囲の目が気になったり、
また落ちたら・・・なんて考えて
結局現状の大学生活に落ち着きます。

この大学でも学べることはある!
なんて勝手に整理をつけてね。

大学でサークルに入って、
仲間とワイワイやって、

学歴に対する卑屈さが
薄れてきた大学3年のころ、

サークルのつながりで
高学歴なやつがたまたま
ライバル的な存在になり、

また学歴コンプレックスが
発動します。

このときは結構悩んでいて、
答えを求めてネットで検索したんですよね。

学歴で負けてる俺が、
アイツに勝つにはどうすればいいんだ?って。

思いついたのは、
ビジネスとかで成功すること。

ビジネスの成功者って、
学歴が一流じゃなくても、
結果で評価してもらえると思ったから。

そんなわけで、その時たしか、

「自分の力で稼ぐ 方法」

って検索をしたと記憶してます。

その検索がきっかけで、
僕はインターネット上でビジネスをして
お金を稼いでいる人の存在を知ります。

自分の中の常識では、

大学行って、大手企業目指して、
うまく就職して、そこで給料上げて・・・

みたいなのが固定観としてあったので、
なんか衝撃的だったんですよね。

その時検索して見つけた人が
メルマガをやっていて、
1通目に来たメールに対して
返事のメッセージを送ってたんですが、

それがまだメールボックスに残っていました(笑)
2014年かぁ。
当時を思い出しますね。

見るとわかるけど、
まだ「ブログ」って言葉を知らなくて、
「HP(ホームページ)」って言葉使ってますね。

それくらいネットとかに関して全然知識のない時で
すがるようにメッセージしていた感じです。

このメッセージは何回も何回も推敲して、
書きあがったのが早朝5時でした。

その後すぐにメッセージに返事が来て、

っていう内容をもらいました。

「大学3年生でもビジネス勉強するのは全然あり。逆にビジネススキルが無かったら、人から給料もらうしかないよ」

って。

ビジネス全くわかってない僕にもわかるように教えてくれて、

「なるほどなぁ」

って思ったことは覚えています。

でもね。

この時の僕は何も動きだすことが出来なくて、
人生は何も変わりませんでした。

気付いたら、
またいつも通りの大学生活を送っていました。

◆就活&社会人~

結局、周りに流されるがままに就職活動。

家族や親戚は
「大手企業に行くこと=正義」
みたいな感じだったので、

それに影響を受けて育った僕は、
誰でも名前は知っているような
某公的金融機関に就職。

高校、大学と順調に来て、
就職活動で内定が決まったときは

「人生アガリだわ~」

とか思ってました。

仕事内容のイメージは大方ついていたので、
ここから35年間、
マジメに働くに値する仕事だとも
感じてました。

でも、そんな想像は
入社1年で崩れ去ることになります。

目の当たりにしたのは

  • 年功序列で正当な評価を得られない
  • 先輩や上司を見ればキャリアの先が見えてしまう
  • 数年目のあるタイミングで出世コースか平社員コースかが決められる鬼仕様
  • 自分じゃなくてもできる単純作業の繰り返し
  • 早朝と深夜のシフト勤務による自由の制限や体調不良

などの現実の数々。

あぁ、このまま35年間はヤバいなと。

でも、世間ウケはいいので、
ごまかしながら勤めていました。

でもあるとき上司から、
より大変なシフト勤務の任命を受けて、

「佐々木もこれで一人前だな!」

と言われた時には、

「はい」と答えることもできないほどの
吐き気に襲われ、ガチで口を押えてこらえました。

この時、
「絶対ここから抜け出す」
と決めたのを鮮明に覚えています。

その過酷なシフト勤務が始まるのが
そこから数か月後に決まっていたので、

それまでに会社を辞め、
自分の力でお金を稼いで生きてやると
心に決めました。

大学3年の時に、ビジネスに関して
メールのやりとりをした人の話をしましたが、

この人は体系的にビジネスを学んで、
様々な分野に活かしているプロだったので、
教えてもらうために35万円払って必死に勉強しました。

会社に入った時には、
親とか周囲はもてはやしてくれましたが、

誰かの期待に応えるためにいいなりになって、
バカ正直に、
クソマジメに生きててもしょうがないなと。

やっと気づいたんです。

ちゃんと教えてくれる人から学べば、
ノウハウも体系化されているので、
ビジネスのスキルもグングンつきました。

そして、
ブログタイトルにもある通り、
「脱クソマジメ」
を達成します。

長くなりましたが、
このような経緯があって、

僕は「脱クソマジメ」をテーマにして、
自分がこれまで歩んできたものを伝えています。

同じような境遇の人や、
悩みを抱えている人にとって、
このブログが希望になれば嬉しいです。

このブログでは、

  • 今現在、僕がビジネスで学んだことで見えてきたことについて
  • 僕が昔悩んでいたことについて、その乗り越え方
  • たった今取り組んでいるビジネスの話

などのアウトプットを中心に書いていきます。

また、僕がやっているメールマガジンでは、
脱クソマジメをテーマにした
リアルタイムな僕の発信を受け取ったり、
僕と相互のコミュニケーションをとることも
できます。

僕は昔から、

現状を打破したいとか、
誰かに勝ちたいとか、
人より優れていたいとか、

そういう思いを強く持ちながらも、

一体どうしていいのかわからない状態で
望む結果を出すことができず、
悩む人生を送ってきました。

ただ、ビジネスを学んだことで、

何においても、
自分が望む結果を出すために
必要なことがあると知り、

以前とは打って変わって、
道が開けるようになりました。

その結果が、
冒頭にお見せした僕のハイライトです。

▼僕の生き方のハイライト▼

  • 新卒1年目で会社の給料以外の副収入が月15万円あった
  • ビジネススキルを付けて23歳で独立(2018)
  • 月曜日の憂鬱や満員電車とは無縁の生活
  • その日の予定をその日に決められる
  • 仕事場所が自由だからイタリアで仕事をしたりもする
  • 1日中趣味のギターに没頭していても勝手にお金が入ってくる
  • 体を休ませたいときに気兼ねなく思いっきり休める
  • 外に出たくない時は家に引きこもっていても余裕で収入が確保できる
  • 全てが無くなっても脳内にある知識が奪われなければ何とかなるなって感覚がある
  • 僕のやってきたことを教えて0から2か月で10万円超の副収入を上げる人を複数輩出
  • 同じように自由を満喫している気の合う仲間と悠々自適に学んだり遊んだりしている

昔の僕についてのストーリーに
近しいものを感じる人、

そして、今の僕のような
生き方を目指したい人は、

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