◇
僕はある日、200万円という大金をはたいてツールを買った。
自分で記事を書くことなく、他人のサイトから記事を間借りしてまとめサイト的なものを作れるツールだった。
しかも収益も上がるということである。神か。
こんなツールに出会うなんて運がいい。これで人生勝ちだわ、とか思っていた。
だが、それは大きな間違いだった。
いや…たしかに、数万円は稼ぐことができたのだ。
問題は、世界の神々(Google神、そして広告主)がそれを見逃すはずがないということだ。次の月には収益が0となった。
僕は深く思い知った。
価値提供していないのに稼げている状態なんて、あるはずがない。
そんなもの、砂上の楼閣に過ぎないのだ、と。
…そんなどん底の状態から、
僕が1日100記事生産するシステムを作るまでの物語。
◇
僕は今、ブログで収入を得ている。
毎日のように記事を書いたことで、自分ひとりが生活できるくらいにはブログで稼げるようになった。
200万円のツールで失敗したこともあり、しっかりと学んで、ユーザーに満足してもらえるような記事を書くスキルを付けたのだ。
おかげでその失敗もチャラになり、今ではいい勉強料だったとさえ思っている。
ただ、そんな僕の気持ちを揺らす出来事がまた起こる。
某日のこと。
あるきっかけで、「月に100万円以上稼いでいるサイト」を見せてもらえる機会があった。
「月に100万円稼いでいるサイト」というと、どんなサイトを想像するだろうか?
ぜひ一回、想像してみてほしい。
OK?
その時、僕がそのサイトを見て持った感想は、
「すげぇ!!!」
…ではなく、
「え?これで?」
というものだった。
泥棒が銀行の金庫に侵入したのに何もない、みたいなイメージに近いかもしれない。
そこにあったのは、
・記事の質:普通以下
・記事の量:めちゃんこ多い
というサイトだったからだ。
これで稼げているという実情に、衝撃を受けざるを得なかった。
あのGoogle神が、このような所業を看過ごしているという事実に。
実はこの話は、このサイトに限ったことではない。
近頃、僕が知る界隈で急激に収益を上げている人たちは、要はこういうサイトで稼いでいるということだったのだ。
同じようなパターンの記事を横展開し、機械のように書きまくる。1日に10記事とか余裕で投稿していくスタイル。
一人でせっせと修行僧のように書く人もいれば、外注に任せて書かせる人もいるらしい。
(マジか・・・)
苦労して1記事1記事書いていた自分には、得も言われぬくやしさがあった。
ただ、こういう言葉もある。
「稼げていないなら、自分の思考は間違っている」
「稼ぎたいなら、稼いでいる人の思考を採用せよ」
実際、先ほど挙げたサイト達を運営している人が、本当に稼いでいるのを僕は知っている。
…苦労している方が報われるべきというのは、自分のエゴか。
とはいえ内心もやっとした思いをもちつつも、僕は記事を量産してみることにした。
1週間だけ。
その1週間で、僕は家にこもりきりで45記事を書いた。同じパターンの記事である。
結果はというと。
稼げてしまった。
実はこの話を書いている今も収益が上がっていて、累計で言えば20万円以上は稼いでいた。
たった7日間頑張っただけなのに。
頑張ったと言っても、機械のように同じ作業を繰り返すことで。
あっさりしすぎてビビったが、短期間で成果が出たことは嬉しかった。
・・・ただ、僕は葛藤した。
このサイトが本当に世の中に価値提供できているのだろうかと。
僕は決して聖人君子というわけではない。
稼ぐためにブログをやってるわけなので、稼げないよりは稼げる方がやはり良い。
ただ、その葛藤には意味がある。
過去の失敗を繰り返したくないのだ。
価値提供できていないのに稼げているというのはおかしな状態で、風が吹けば無くなってしまうもの。
Googleだってバカじゃない。(と、信じたい)
200万円のツールで痛い目を見たからこそ、僕はそう確信していた。
とはいえ、7日間の記事量産が一旦は収益につながったのは事実。
とりあえず自分へのごほうびに、ハーゲンダッツのストロベリー味を買って一息つくことにした。(ちなみにハーゲンダッツは抹茶かストロベリー推し)
毎回恒例、ハーゲンダッツがちょっと溶けてくるまでの待ち時間に、頭の中ではさきほどの葛藤を続けていた。
改めて僕の葛藤ポイントを見つめていると、問題だと思っているのはここだなぁとわかってくる。
価値提供すること VS 量産すること
価値提供を頑張ろうと思うと、量産は難しい。
量産しようとすると、価値提供は難しい。
この板挟みに悩んでいるのだ。
ただ、ふと思う。
「価値提供すること」
「量産すること」
これらは、相反するものなのだろうかと。
逆に、世の中にあるもので、「量産してるけど価値提供もできているもの」ってないのか?と。
結論。
めっちゃある。
ハーゲンダッツだってそうだ。きっと工場で量産されているけど、めっちゃ美味しい。
コンビニで買うスイーツも美味しい。
量産すれば質は低くなるみたいな先入観を持っていたが、実は違うんじゃないか。
何も、職人やプロが1つ1つ丹精込めて作った手作りの産物だけが、世の中に価値を提供しているわけではないな、と気づく。
価値提供できている記事が量産されているのなら、良いではないか。
「それだ。それを目指そう!!!」
安易ではあったが、心からそう思えた。
葛藤は抜けた。だがすぐに壁にぶつかる。
実際のところ
「価値提供できている記事を量産する」
というのは、大変なことなのだ。
価値提供という面では少々お粗末だったかもしれないが、先人たちは1人でせっせと記事を書いたり、外注したりすることで、1日10記事以上投稿している。
量産も大変だ。
それに加えて、質も上げようというのだからより難易度は上がる。
とりあえず、一人でせっせと記事を書くっていうのは、最終手段にしたい。
そう思ったのは、結構キツかったからだ。楽と言えば楽だが、毎日毎日変わり映えのない同じようなことをするのが辛かった。
せっかく独立したのに、なんか会社員みたいなことをしているようだと思ったからだ。
じゃあ、外注だろうか?
たしかに、パターンが決まっている分、慣れれば手がかからなくなるだろう。ブログとパソコンの基本がわかっている人になら頼めそうだ。
ただ、今までは外注するといってもアンケートみたいなものしか依頼したことがなかったし、一人でやるよりもコストはかかってくる。お金も、教える時間もだ。
そもそも、外注を使って高品質な記事を毎日大量10記事以上生産しているような人はリソースが違うのだ。
うーむ。と考える。
同じ仕事を会社員みたくせっせとやるか。慣れないけど外注を頑張ってみるか。
そういえば…
と、ふと僕の会社員時代の事を思い出す。
ほんの数年足らずで辞めてしまったが、僕は公的金融機関で働き、システム部署にいたことがある。
そこでは、業務をシステム化することで、大げさではなく日本全体を動かすような操作を、人ひとりで実行できてしまうような仕組みが出来上がっていた。
システムが出来る前は手作業で大変で・・・みたいな昔話はよく聞かされた。
もちろん僕がいたときでも、人間が確認をすることが重要な場面では人間を使い、システムと人間の役割分担というものがしっかりと出来ていた。
(そうか、これって…)
数年とはいえ、日本全体を見渡すような環境に身を置いていた僕だからこそ、気付いたのかもしれない。
「ブログにも応用できるじゃないか!!」
そう考えた僕は、
「ブログにシステムを導入すること」にたどり着く。
要は、
記事の質を高めるための部分 →人間がやる(自分or外注)
それ以外の誰でもできる一辺倒な部分 →システムにやらせる
こういう役割分担を作ることにしたのだ。
見渡しても、僕の知る限りやっている人は見当たらない。
このやり方なら、記事の質を高めながらも、最大限に効率化し、量産することが出来る。
人間がやる部分が絞られれば、お金の面でも、教育にかかる時間の面でも外注するのが楽になる。
もうこれしかない。
確信。
こうして、「1日100記事生産できるシステム」を作ることになる。
◇
そして某日、ついに完成に至る。
◇
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